生涯

アレクセイ・N・トルストイはニコラエフスク(現在のサラトフ州プガチョフ)で、1882年、トルストイ伯爵家の貧乏な分家に生まれた。彼の父は驃騎兵の任および地主の職から退いたニコライ・アレクサンドロヴィッチ・トルストイ伯爵であり、彼の母は児童作家のアレクサンドラ・レオニエヴナ・ボストロム(トゥルゲネヴァ生まれで、普通アレクサンドラ・トルストイとして知られる人物)であった。アレクセイは一家の第4子であった。彼の母親は、妊娠2ヶ月だった時に情夫のアレクセイ・アポロノヴィッチ・ボストロム (Aleksei Apollonovich Bostrom) と駆け落ちした。当時の離婚に関する法律に従って、有罪のアレクサンドラは再婚を禁じられた。彼女が新生児を自分の手元に置いておく唯一の手段は、子供をボストロムの息子として登録する事だった。かくして、13歳になるまでアレクセイはアレクセイ・ボストロムとして育ち、自分の父親が義父だと疑う事はなかった。1896年にトルストイ、ボストロム両家は官僚的な事務処理に大変な労力を費やして、アレクセイをトルストイ伯爵として登録し直した。それでもなお、彼はアレクセイ・ボストロムを本当の父と見なしていて、ニコライ・トルストイや年上のきょうだい達と顔を合わせる事はほとんどなかった。

Filed under Uncategorized | 1 Comment »

代表的作品

アレクセイ・N・トルストイ(以降A.N.トルストイと表記する)初期の短編は過度の自然主義と必然性のないエロティシズムにより、そしてミハイル・アルツィバーシェフ (Mikhail Artsybashev) 言うところの「味」が概して欠如している事により、アレクサンドル・ブローク (Blok) その他の有力な批評家に酷評された。A.N.トルストイ名義で1900年代序盤に出版されたポルノグラフィ的作品には、本人の手によって封印されたものもあると言われる(しかし現在、大部分の批評家はA.N.トルストイがそれらの作者であるかどうか懐疑的である。) A.N.トルストイはボリシェヴィキによる10月革命の最中、1917年にロシアを去って初めはドイツへ、後にはフランスへ移住した。1923年、彼は本国に送還され、最も人気のある作家としてソヴィエト体制に受け容れられた。彼は終生、共産党の忠実な支持者となって、スターリンを賞賛する作品を書き、またマクシム・ゴーリキーと組んで悪名高い旅行記(白海・バルト海運河への旅行を題材としたもの)を書いた。 彼は2編の長大な歴史小説を発表した。すなわち、ピョートル1世の政策をスターリンのそれになぞらえようと努めた『ピョートル一世』(1929年 - 1945年)、そしてロシア内戦を含む1914年から1919年までの時代を描いた『苦難の道』(1922年 - 1941年)である。彼はまた数編の戯曲も書いた。

Filed under Uncategorized | 1 Comment »